父の他界で会社が低迷、生活費をレイクで借りる日々

私は清掃業を営む35歳男性です。
私は父の代から続いている清掃業男20代の頃に引き継ぎ、それから家族総出で仕事を回してきました。
清掃業といっても、ビルのお掃除から公園のトイレ掃除、また廃棄物の運搬等々、仕事は多岐に渡り、インフラ関係の便利屋的なポジションで今まで頑張ってきました。
しかし、去年の10月に創業者である父親が倒れ、あれよあれよのうちに亡くなってしまいました。

【体験者の情報】

体験者 借入件数 借金総額 借金期間
  • キミヒト
  • 男性
  • 35歳
  • 自営業(清掃業)
レイク 約90万円 25年12月10日-現在

仕事が激減し、生活苦に追い込まれた為

私は清掃業を営む35歳男性です。
私は父の代から続いている清掃業男20代の頃に引き継ぎ、それから家族総出で仕事を回してきました。
清掃業といっても、ビルのお掃除から公園のトイレ掃除、また廃棄物の運搬等々、仕事は多岐に渡り、インフラ関係の便利屋的なポジションで今まで頑張ってきました。
しかし、去年の10月に創業者である父親が倒れ、あれよあれよのうちに亡くなってしまいました。

父は人格者で、顧客のハートを掴んでいました。
私は自分で言うのもなんですが、仕事は出来る方です…が、父のような人の心を掴むような器がや度量がまだまだ足りません。
今までは与えられてきた仕事を淡々とこなしてきて、それでオッケーだったのですが、父が倒れてからは会社の舵取りは全部自分がやらなければなりません。
今まで営業的な活動は全くやってこなかったし、ましてや他人と接するのが苦手な正確な私の性格上、人の上に立つ社長代理という役職はかなり重たいものでした。

しかも、私が舵取りをしだした途端、専務として働いていた父の補佐が他の社員を引き連れて辞めてしまいました。
それだけではなく、同じ市内に清掃会社を立ち上げて、今までうちの会社で持っていた太い顧客を全てかっ去っらっていってしまったのです。
完全に裏切られた父と私の会社の収入は激減しました。
残った顧客もいたのですが、薄利で過酷な仕事ばかりです。
父親が倒れてから2ヶ月でほとんどの社員は辞めてしまいました。

私は人材派遣会社に人を頼み、何とか現場の補填をしていましたが、薄利の上に人権費ばかりが嵩み、一ヶ月で数百万の大赤字を出してしまいました。
そのお陰でもちろん私の生活もどん底まで落ちました。
そしてやむなく消費者金融のレイクへ行ってお金を借りることにしたのです。

会社の貯蓄もあったので、人件費はそこからまかない、私の給料分としてレイクから借りることにしました。
なので最初に借りたお金は15万円。
私にとって初めての借金の経験でした。
それに屈辱感というか、情けない…と言う気持ちが私の胸の中で渦巻いていました。

裏切った社員、辞めていった社員達に対しての怒りも相当ありました。
数ヶ月は心の整理がつきませんでした。
そして経営が落ち着くまでの約半年間、毎月10万円から15万円、借り入れを繰り返しました。

私はそれまで人や会社からお金を借りたことが全くなかったので、消費者金融といえばヤクザのような反社会的団体が経営している…と言うような悪いイメージしかありませんでした。
しかし、背に腹は変えられません。私には家族もいるので、家族を養っていく義務もあります。
しかしレイクで審査を受けるとき、受付の方はそんなに悪い感じの人ではありませんでした。
また、とても対応が丁寧でマトモな感じがしました。
この時、私の今までの借金や消費者金融会社のイメージが少し良い方に変わりました。

レイクの公式サイト

会社経営がさらに悪化、どん底まで落ちました。

借金をして生活費をまかないながら、自分なりに営業活動開始しました。
父は脳梗塞で入院。植物人間状態なので営業のコツなどは自分で本を買って調べたり、インターネットで調べたりして自己流で始めました。
まずは奪い取られた顧客を脱却しなければいけない…ということで今までの顧客のところに挨拶に行き、仕事をこちらの会社に返してもらうように促しました。
しかし、裏切られた専務が立ち上げた会社には金額では到底勝ち目がありません。
なかなか取り返す事は難しそうでした…

しかし、私の父が努力して掴み取った取引先です。
おいそれと諦めるわけには行きません。
私はそこから数ヶ月、毎日のように顧客回りの営業をしました。
その間売り上げは全くありません。

新しくアルバイトやパートを雇い、人材派遣を頼んでいたときよりは人件費が抑えられるようになりました。
しかし、売り上げの絶対数が足りません。
私の生活費は数万円。
後はレイクへ行って借りる…という負の連鎖の日々でした。
こんな被害いつまで続くのか。
考えるだけでノイローゼになりそうでした。

私は今まで乗っていた車、おきにいりのクラウンを売り、軽自動車に変えました。
さらに持っていた貴金属もすべて売り払いました。

売ったお金はすべて会社の経営に回しました。(もちろん、微々たるものですが)
我が家の夕飯は、すべてスーパーの見切り品にかわり、私たち夫婦は自分たちの衣類は勿論、子供用の服もおいそれと買えなくなってしまいました。

何しろ明日の生活が見えないような状況だったので…
私や残っている社員の努力の甲斐あって、会社の経営が回復した今はようやく自分たちの買い物も出来るようにはなりましたが、それでもまだ、安心は出来ません。
本当に底辺の暮らしをしていたのです…。

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離婚後折半した借金150万と生活費50万を背負った体験談

主人と離婚する時点で借金が300万あるので、離婚する際の話し合いとして借金は2人で折半となり私が150万の借金を負う事になりました。

【体験者の情報】

体験者 借入件数 借金総額 借金期間
  • まさポン
  • 女性
  • 37歳
  • 専業主婦
プロミス 200万 2000年10月

返済できない生活から抜け出すための借金

20歳の時に出来ちゃった結婚という形で結婚と出産をした私は、短大を卒業ごに借金生活をすることになりました。
主人はバイト先の先輩だったのですが、自分のストレスになる過度な仕事はしないのがスタンスの人で、
子供が産まれて3人で生活をはじめてのそのスタイルを替えることはしませんでした。

その為、出産費用と当面の生活費として借りた最初の借金は150万でしたが、生活が始まってもまったくバイトのシフトを増やすことはせず、
就職先を探すわこともしない生活のため、子供がうまれて2年たち借金は300万にまで膨れ上がっていました。

その頃は、主人が家にいる夜に私がバイトに出かて生活費の足しにしていたため、
そのあとの1年は追加の借金はなかったのですが返済のめどはまったく立たない状態でした。

借金返済について何度も主人と話し合いをしましたが、結局ストレスになる過度な仕事をするつもりはないといいわれ、
今後子供が大きくなるにつれて金銭的にこれ以上は無理だと離婚することに。

主人と離婚する時点で借金が300万あるので、離婚する際の話し合いとして借金は2人で折半となり私が150万の借金を負う事になりました。
主人からは養育費も払うからという申し入れがありましたが、離婚後に一度も振り込まれたことはありません。
仕事を増やすということはないと思っていたので、主人も借金返済に苦しくなるためそんなのは見込めないとわかっていました。

借金を負っただけで私には貯金などありません。

子供は私が引き取り2人で生活を始めるために、当面の生活費と私が仕事に出ている間の子供の託児所代などが必要になるため新たに借金をすることになりました。

結婚した際に初めて借りた場所がプロミスでした。
色んなところで複数かりて、返済がいろんな場所から追われるのが嫌だったので、同じプロミスから50万円借りることにしました。

母子家庭となりますが、今度は私が働いて返すという思いがあったので当面の生活費として使用すると細かく決めました。

コレが最後という気持ちでした。絶対今後新たな借金はしないと強く思っていました。

初めの借金した時とは違い、今回の借金は立ち直るための軍資金という意味での借金だったため、お金をかしてもらって本当にありがたい、
助かるというイメージでした。

借金には悪いイメージを持つ人もいますが、それは返せないないからです。
きっちり返すことができれば、一時的な急な出費などにはとても助かるものだというイメージです。

本来なら借金しないことが一番よいと思いますが、助けられているという思いと、返せてなくて申し訳ないという思いが両方あります。
最後にお金を借りる時は、これで私は頑張りますというやる気へとつながりました。

寝る暇なんてなく女をすてた生活

私は子供と2人の生活するため当面の生活費として50万を追加で借り総額200万の借金です。
私は子供を預かってくれる託児所を見つけて、正社員として働ける場所を見つけて働き始めましたが、
私が昼間働いたお金は託児所費用や生活費用で全てなくなり借金返済までまわりません。

そのため、夜子供が寝た後にバイトに出かけて朝方帰ってくるという生活をしました。
夜のバイト代は足らない生活費を補い分と借金返済分にあてました。
1日の平均睡眠時間は2、3時間程度だったと思います。
年齢的に体力はあったのでなんとかでいましたが、肌はボロボロで白髪が増えました。

当時20代でしたが見た目は30代後半くらいみすぼらしかったと思います。
ですが、子供のみなりや食べ物だけは絶対削れなかったため必死でした。
私は1日一食でも問題ありませんが、子供はそういうわけにはいきません。
小さい子供にとって栄養だったり衛生面は大切なので徹底しました。
そのせいで、自分自身にたいしては食べ物も着るものもおろそかになったのでひどかったです。
体重もその頃はガリガリでした。

昼も夜も働いていたので交友関係は全くありません。
昼間働いてる会社では、付き合いで飲み会などもありましたが子供がいるからという理由で全て断っていました。
遊ぶということは全くなかったと思います。
休みの日は一日中子供と過ごしていました。

ですが、お金をかけた場所へはいけないので、図書館へいって絵本をよんだり公園に言って遊びにいったりとお金をかけないで色々子供と遊びました。
買い物は子供優先で食べ物や洋服をかいました。
子供は成長するので洋服もすぐに小さくなります。

買えるのは古着屋ばかりでしたが、それでも良いものを子供には買い与えました。
自分自身は新しい服は結婚した当初から殆どかった覚えがありません。
買ったとしても古着屋などでの安いものです。
それを自分なりに着まわしする感じです。

食事は私は基本1日一食でお昼だけでした。
自炊でお弁当を持っていきました。
パン屋さんからタダでもらえるパンの耳には本当に助けられました。
夜中バイトしてる時にどうしてもお腹がへるので、休憩時間ではよくパンの耳をかじっていました。
子供にだけはスーパーで安いものばかりですが、ちゃんとした食事を自炊で食べさせていました。

ひたすら我慢と節約と仕事の日々だったので、何処かへ遊びにいったという思いではありません。
睡眠時間が殆どなかったので、よく倒れなかったなと思います。

若かったから出来たのかと今では思います。

ただ、体は正直でその頃は生理が止まってしまってありませんでした。
ただ、その頃の私はそれすらも生理用品を買わなくて済むというありがたい気持ちでした。
それくらい追い込まれた生活でした。

キャバ嬢に貢ぎ、アコム・プロミスなど借金総額300万…友も金も失う

友人に誘われキャバクラに通う様になったのは大学生の頃からです。最初は一人で行けなかったキャバクラに慣れていくにつれて一人でも行けるようになりました。大学卒業後、社会人として就職して1年目は上司や先輩に飲みに連れていかれていたので一人で飲みに出歩くことは少なかった様に思います。
社会人3年目にストレスからふと昔通っていたキャバクラに足を運んだら、自分の超ストライクの嬢がいたのです。話している内にすっかり意気投合し、その子がまだ大学生でアルバイトのキャバ嬢だと知りました。私はなんとしてもその子を落としたくて、身の丈に合わないようなボトルを入れたりフルーツ盛り合わせを頼んだりしてしまいました。

【体験者の情報】

体験者 借入件数 借金総額 借金期間
  • サイヤック成人
  • 男性
  • 29歳
  • 会社員
新生銀行、アコム、プロミス 約300万円 2013年12月‐現在

ドツボにはまった女性関係

友人に誘われキャバクラに通う様になったのは大学生の頃からです。最初は一人で行けなかったキャバクラに慣れていくにつれて一人でも行けるようになりました。大学卒業後、社会人として就職して1年目は上司や先輩に飲みに連れていかれていたので一人で飲みに出歩くことは少なかった様に思います。

社会人3年目にストレスからふと昔通っていたキャバクラに足を運んだら、自分の超ストライクの嬢がいたのです。話している内にすっかり意気投合し、その子がまだ大学生でアルバイトのキャバ嬢だと知りました。私はなんとしてもその子を落としたくて、身の丈に合わないようなボトルを入れたりフルーツ盛り合わせを頼んだりしてしまいました。

一度や二度なら良かったのですが、その嬢から今月売上が厳しいと連絡が来るとすぐに駆けつけたり、アフターの際に高級レストランへ連れて行き、ブランド物のバッグをプレゼントしていました。もちろん、向こうからプレゼントをせがまれたわけではなく、全て自分の意志で行動しました。

給料に見合わない行動ばかりしていたので貯めていた貯金はみるみる減っていましたが、その子が喜んでいる顔を見るだけで僕は幸せでした。そして、手元にお金が無いタイミングでお呼びがかかることも増え困り果てていた時に、新生銀行のノーローンを知りました。1週間なら何回借りても無利息という謳い文句に誘われて、1週間乗り切れば給料が入るという安心感から借金に手を染めていったのです。

一番最初は新生銀行のローンです。当初の枠で100万円借りれるように申請しておき、給料までの繋ぎとして5万円借りたのが借金地獄の幕開けだったんだと実感しています。
ノーローンを利用すれば1週間の内に返済すれば無利息ということもあり、当初は借りたお金を無利息で返すことが出来ました。
初めて利用した時に、これなら多少資金繰りに困っても1週間我慢すれば大丈夫だと勘違いしていたと思います。

借金に対して全くいいイメージを持っていませんでした。
しかし、ノーローンで無利息返済をしていた段階では、利息を支払っていないのだから自分が借金をしているという意識がかなり少なかったです。
そんなことよりも、自分を必要としてくれているキャバ嬢に、何回でも会いに行けるという土台ができたことの方が当時の自分には重要なことでした。

返済の為の借入地獄

キャバクラにいるお気に入りの嬢を求めて約1年が経った頃から、ノーローンを無利息で返済できないようになっていました。
枠で融資を受けていたので、お金が足りなくなったら都度借入をして、月々の給料で交際費が賄えない時はボーナスを充てにすることが多くなっていきました。

しかし、男としてお気に入りの嬢にはそんなことを悟られたくなかったので、いつでも会いに行くというスタンスは変えたくありませんでした。
お金が足りなくなって、家賃の支払いを待ってもらったり、水道光熱費を口座引き落としのある一定の日に払えなくなっていきました。
親や兄弟に借金のことは相談できず、自転車で20~30分の距離にある実家に良く顔を出し、ご飯を食べさせてもらってお風呂に入って自分のアパートに帰るという生活をしていました。

しかし、金銭感覚が崩壊して歯止めが効かない状態にあった私は、当初月々の返済が1万だったものが2万、3万と徐々に増えていったのです。そしてあっという間に当初の枠である100万円の借金に到達した時、悩みに悩んだあげくアコム・プロミスなどの消費者金融の力を借りることを選んでしまいました。

それからというもの日々の生活は困窮を極め、正直自分でも何をしていたのかわからない毎日を過ごしてきました。
今思い起こしても、常に食費を削りお腹は減りすぎてわけがわからず、仕事中もミスが増えるようになり集中力が一切ありませんでした。

滅多に会うことのできない友人から連絡が来ても、わざと気が付かなかったふりをしています。夜になり、辺りが暗くなってくると、自分自身情けなくて涙が出ることもありました。
借金を返し終わることが出来たら、今度は人並みの生活を味わってみたいと切に願います。

30歳すぎてフリーター。レイク・プロミスで膨らむ借金…

2007年に勤務していた会社が倒産して失業しました。
倒産する1年ほど前から会社の業績は悪化の一途を辿っていましたが、ついに倒産したしまったのです。
当時すでに30歳を超えていたこもあって、再就職は簡単ではありませんでした。面接はおろか書類選考さえ通らない厳しい状況で、再就職に向けた就職活動は長期化していきました

【体験者の情報】

体験者 借入件数 借金総額 借金期間
  • ササキ
  • 男性
  • 38歳
  • フリーター
レイク、プロミス、アコム 50万円 開始:2007年12月~

会社の倒産により失業して借金をすることに。

2007年に勤務していた会社が倒産して失業しました。
倒産する1年ほど前から会社の業績は悪化の一途を辿っていましたが、ついに倒産したしまったのです。
当時すでに30歳を超えていたこもあって、再就職は簡単ではありませんでした。
面接はおろか書類選考さえ通らない厳しい状況で、再就職に向けた就職活動は長期化していきました。

就職活動中の生活は、雇用保険の失業給付金で何とかやっていくことができましたが、生活費のすべてを賄うには足りず、居酒屋でアルバイトをしながら就職活動をするという状況でした。
それでもなかなか再就職は決まらず、ついに失業給付金の支給も終了してしまいました。

それまではアルバイトで得られる収入と失業給付金を合わせて何とか生活を維持していましたが、失業給付金の支給が終了してしまうと生活ができなくなってしまいます。
就職活動どころか生活さえ継続できない状況になり、ついに借金をするしか選択肢がなくなってしまいました。
アルバイトをしていたとはいえ世間的にはフリーターですので、お金を借りられるのは消費者金融くらいしかありませんでした。


金利の面を考えると消費者金融での借金は、できることならしたくありませんでした。

でも、生活を維持していくためにはアルバイトの収入だけでは足りないため、止む得ず消費者金融で借金をしました。
消費者金融に借金の申し込みをして審査に可決され、設定された借り入れ限度額は10万円でしたので、とにかく借りられる限度まで借りることにしました。
10万円を借りるということが、どれほど重い負担に変わっていくか気づかないまま借金をしました。


アルバイトでもお金を借りられるのは消費者金融しかなかったので、レイクから10万円を借りました。

そして、借りたお金のすべてを生活するために使いました。
消費者金融で借金をするのは初めてのことだったので、とても戸惑いがありました。
お金を借りて本当に返せるかどうかの確信を持てないままの借金でしたので、とても大きな不安を抱えたまま借金をしたという感じです。
でもお金を借りなければ生活ができませんので、後先を考えずに借りることにしました。

返済の目途が立っていて借金をしたわけではありませんので、とても不安は大きいものでした。
借金をするということには、少なからず抵抗もあったのも事実です。
借金をするということに、とても暗く恐いイメージを持っていたからです。
そして実際に借りる時も、何度も借りずに帰ろうと思いました。
しかし、お金がどうしても必要だったので、借りるしかありませんでした。

返済の目途が立たないまま借金をしたので返済が苦しくなる。

借金を返す目途のないまま借りてしまったことで、返済は初回から苦しいものでした。
アルバイトの収入だけで生活していたので、生活するだけでも苦しい状況でした。
そして借金をしたことで、借金の返済までしなければならないのは本当に苦しかったです。

最初の頃は毎月わずか数千円程度の返済でしたが、その数千円のお金さえ払うのが困難でした。
アルバイトの収入だけで生活のすべてを維持しなければならず、就職活動にも交通費などのお金がかかります。

そんな苦しい時期でしたので、借金の返済はとても重い負担でした。
そして生活を維持できなくなるたびに、返済したらすぐに借金をするという状態になってしまいました。
完全に自転車操業状態で、借りては返すということを繰り返していったのです。
借金はだんだんと増えていき、消費者金融3社から合わせて50万円の借金をしていました。

アルバイトの収入だけでは借金の返済をすることができなくなってきたので、他のアルバイトも掛け持ちでするようになっていきました。
本来は就職活動をして1日でも早く正社員として働きたかったのですが、借金の返済をしながら生活を維持していくためには就職活動よりアルバイトを優先させなければならなかったのです。

借金をして以来、生活はできるだけ節約していました。
食事もできるだけかからないように自炊したり、外食はしないようにしていました。
また、洋服を買ったり友人と飲みに行ったりすることも無くなり、ただ食べていくことだけで必死でした。
生活をしていくために最低限必要な食事や日用品の購入をする程度で、遊興費などにはお金を使う余裕はまったくありませんでした。

多重債務で自転車操業…レイク・クレジットで借金地獄

私はチェーン展開する外食企業で働いています。3年半前に地方から東京の本社勤務へ異動となりました。それまでは外食のチェーン店である店舗に勤務しており、営業職扱いのため店舗の業績に応じて手当があり、またチェーン展開する企業なので給与水準は東京に合わせられていたため、物価や家賃の安い地方都市ではお金にも余裕があり、充実した生活をしていました。国内メーカーですが高級車と呼べる車を購入してローンを組んでいた矢先に転勤を命じられ、東京都内へ引越しをしました。

【体験者の情報】

体験者 借入件数 借金総額 借金期間
  • ヨッシー
  • 男性
  • 36歳
  • 会社員(全国チェーン外食業)
レイク・楽天カード・イオンカード 100万円 2011年8月-現在

転勤での収入減から借金生活へ

私はチェーン展開する外食企業で働いています。3年半前に地方から東京の本社勤務へ異動となりました。それまでは外食のチェーン店である店舗に勤務しており、営業職扱いのため店舗の業績に応じて手当があり、またチェーン展開する企業なので給与水準は東京に合わせられていたため、物価や家賃の安い地方都市ではお金にも余裕があり、充実した生活をしていました。国内メーカーですが高級車と呼べる車を購入してローンを組んでいた矢先に転勤を命じられ、東京都内へ引越しをしました。

それまでの営業職から事務職となったため、給与体系も変わり、また地方に比べて家賃も高いため一気に収入減になったのです。実質手取りはそれまでの60%くらいです。それまでの余裕があった暮らしからは一転、地方にいた時に組んだカーローンやクレジット返済が苦しくなり、生活に切羽詰ってきました。物価や光熱費も高く、様々な支払いに追われて給料が支給されても支払いのために一気に減り、支給日から1週間後には食費を含めて1万円くらいしか自由に使えるお金が残らなくなりました。

もちろんそのお金でやりくりするのは難しく、やがて車のローンや光熱費などの支払いが滞るようになり、催促電話がかかってきたり、電気・ガスが一時的に止まってしまうほどになります。さすがにこのままでは良くないと思いながらも給与が急に増えることも無いし、借金を減らす手段もなく、預金も無かったため、
持っていたクレジットカードでのキャッシングを利用するに至ったのです。

当時持っていた楽天カードのキャッシング枠が30万円分あったので、コンビニのATMから2万円融資してもらったのが初めてです。止まってしまった電気を復旧させるため、支払いが滞納していた分を支払うために1万5千円、残りの5千円は当面の生活費に当てました。

キャッシングでの金利も知っていましたし、この先も給与増がない限り生活を戻す見通しは全く無かったので、とにかく不安でしたが、とりあえず今をしのぐために借りました。
気分的にはもうどうしようもないのでまさに今のことしか考えられない状況でした。

車のローンやクレジット払いは日常的に利用していたので、お金を借りることに対して違和感はなかったですが、キャッシングで生活費をまかなうことには絶望感がありました。できることなら借りたく無かったのですが、藁にも掴む思いで本当にやむをえず借りざるをえませんでした。借金をした時もそのイメージは変わることがありませんでした。

膨らむ借金と絶望な毎日

給与は上がることなく、車のローンなど毎月の支払いは延々と続くので、それに合わせて借りる金額も膨らんでいきます。最初の2万円に始まり、毎月5万円ずつくらい上乗せで借りるようになりました。キャッシング返済分の5,000千円を払い、5万円を借りるという自転車操業の状態です。
キャッシング可能な限度額を迎えたので、レイクでカードを作りました。
光熱費は支払い遅れがありましたが、ローンは少々の遅れ程度だったので審査も無事通り、こちらでも借金を抱えていくことになります。初めてのキャッシングから1年後には借金は70万円を超え、他にも返しきれないカードのクレジット、車のローンと合せて400万ほどでした。借りても返せる見込みも薄いので毎日絶望的でした。融資の月5万円も自分なりに最小限にとどめていたつもりです。家にある本やCD、趣味だったゲームも諦めてゲーム機本体やソフトなど少しでもお金になりそうなものは次々に売って、生活費の足しにしていきました。

食費も限られているので、出勤している日の昼食は抜きとし、夕食もごはんと100円で買った缶詰一つという状況でした。もちろん衣料も買えず最低限の下着や靴下を買う程度。ちょっとの食品以外は一切買い物をしなくなりました。
精神的にもかなり追い込まれます。
生活はかなり切り詰めた状態でも膨らみすぎた借金の返済さえもままならない日々で、どうすればいいか自分ではわからない毎日。友人と食事に出かけることもできず、何のために生きているのかわからい状況がずっと続いています。

それから、しばらくしてテレビで毎日のように流れている過払い金のテレビCMをみました。インターネットで過払い金のことをしらべるうちに私にも当てはまるんじゃないかと思うようになったので、まずは法テラスに相談しました。電話相談をして最寄りの法律事務所をご紹介いただいたのですが、その時は躊躇してしまい踏ん切りがつきませんでした。そういうしているうちにレイクからの取り立ての電話がくるようになり、精神的に参ってしまいました。もうだめだと思った時にたまたま、電車の広告をみて大阪にある杉山法律事務所に思い切って相談をしました。

杉山法律事務所で、その後に借金を減らす手続きをして今は借金を0円にすることができました。あの時、自分が行動していなければ今はどうなっていたかわかりません。

車が好きすぎて借金600万…結果返済に追われる日々へ

仕事を始めたした当初は、両親の車で通勤していましたが、1年後自分の車を購入することになりました。
地方都市在住ですので1人1台は常識ですし、私の地域に住む社会人は、みんな車を所有しています。
そこで当時憧れていたマツダRX7を新車で購入する事にしました。総額は約400万円かかりました。
金融機関の審査は問題なく通りました。

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東京での初めての一人暮らし、羽目を外し借金

6年前大学卒業後、東京都内の中堅不動産会社の営業として就職しました。大学は実家のある愛知でしたが、就活で惹かれた会社が東京にあり、採用決定後初めて親元を離れて一人暮らしをスタートさせました。学生時代は比較的まじめに学校に通い、ハメをはずすこともない毎日でしたが、初めての一人暮らしに開放感を覚え、連日先輩や同僚に誘われるままに夜の付き合いにのめりこんでいきました。

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クレディセゾンで借金、息子からは「離婚前の方が良かった」

旦那と別れて一人で生活しなければいけなくなったことが切っ掛けです。元々私達は円満な家族生活を営めておりました。旦那は外資系の営業マン、中学生の息子と小学生の娘にも恵まれ、私は専業主婦として、旦那と子供たちを支える日々を送っていました。しかし旦那が脱サラし、自身でビジネスを営むようになってから歯車が狂い始めました。

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10年間の借金生活、1日の食事パンかカップ麺1つで脱出!

2000年の8月に、初めて消費者金融からキャッシングをしました。
借りた金額は10万円で、それが初めてキャッシングした時の借り入れ限度額でした。
消費者金融でキャッシングをした理由は、飲み代やギャンブルなどの遊興費に使うためでした。
まだ若かったこともあり遊びたい盛りで、目の前のことしか考えられないような短絡的な部分があったのだと思います。

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