主人と離婚する時点で借金が300万あるので、離婚する際の話し合いとして借金は2人で折半となり私が150万の借金を負う事になりました。

【体験者の情報】

体験者 借入件数 借金総額 借金期間
  • まさポン
  • 女性
  • 37歳
  • 専業主婦
プロミス 200万 2000年10月

返済できない生活から抜け出すための借金

20歳の時に出来ちゃった結婚という形で結婚と出産をした私は、短大を卒業ごに借金生活をすることになりました。
主人はバイト先の先輩だったのですが、自分のストレスになる過度な仕事はしないのがスタンスの人で、
子供が産まれて3人で生活をはじめてのそのスタイルを替えることはしませんでした。

その為、出産費用と当面の生活費として借りた最初の借金は150万でしたが、生活が始まってもまったくバイトのシフトを増やすことはせず、
就職先を探すわこともしない生活のため、子供がうまれて2年たち借金は300万にまで膨れ上がっていました。

その頃は、主人が家にいる夜に私がバイトに出かて生活費の足しにしていたため、
そのあとの1年は追加の借金はなかったのですが返済のめどはまったく立たない状態でした。

借金返済について何度も主人と話し合いをしましたが、結局ストレスになる過度な仕事をするつもりはないといいわれ、
今後子供が大きくなるにつれて金銭的にこれ以上は無理だと離婚することに。

主人と離婚する時点で借金が300万あるので、離婚する際の話し合いとして借金は2人で折半となり私が150万の借金を負う事になりました。
主人からは養育費も払うからという申し入れがありましたが、離婚後に一度も振り込まれたことはありません。
仕事を増やすということはないと思っていたので、主人も借金返済に苦しくなるためそんなのは見込めないとわかっていました。

借金を負っただけで私には貯金などありません。

子供は私が引き取り2人で生活を始めるために、当面の生活費と私が仕事に出ている間の子供の託児所代などが必要になるため新たに借金をすることになりました。

結婚した際に初めて借りた場所がプロミスでした。
色んなところで複数かりて、返済がいろんな場所から追われるのが嫌だったので、同じプロミスから50万円借りることにしました。

母子家庭となりますが、今度は私が働いて返すという思いがあったので当面の生活費として使用すると細かく決めました。

コレが最後という気持ちでした。絶対今後新たな借金はしないと強く思っていました。

初めの借金した時とは違い、今回の借金は立ち直るための軍資金という意味での借金だったため、お金をかしてもらって本当にありがたい、
助かるというイメージでした。

借金には悪いイメージを持つ人もいますが、それは返せないないからです。
きっちり返すことができれば、一時的な急な出費などにはとても助かるものだというイメージです。

本来なら借金しないことが一番よいと思いますが、助けられているという思いと、返せてなくて申し訳ないという思いが両方あります。
最後にお金を借りる時は、これで私は頑張りますというやる気へとつながりました。

寝る暇なんてなく女をすてた生活

私は子供と2人の生活するため当面の生活費として50万を追加で借り総額200万の借金です。
私は子供を預かってくれる託児所を見つけて、正社員として働ける場所を見つけて働き始めましたが、
私が昼間働いたお金は託児所費用や生活費用で全てなくなり借金返済までまわりません。

そのため、夜子供が寝た後にバイトに出かけて朝方帰ってくるという生活をしました。
夜のバイト代は足らない生活費を補い分と借金返済分にあてました。
1日の平均睡眠時間は2、3時間程度だったと思います。
年齢的に体力はあったのでなんとかでいましたが、肌はボロボロで白髪が増えました。

当時20代でしたが見た目は30代後半くらいみすぼらしかったと思います。
ですが、子供のみなりや食べ物だけは絶対削れなかったため必死でした。
私は1日一食でも問題ありませんが、子供はそういうわけにはいきません。
小さい子供にとって栄養だったり衛生面は大切なので徹底しました。
そのせいで、自分自身にたいしては食べ物も着るものもおろそかになったのでひどかったです。
体重もその頃はガリガリでした。

昼も夜も働いていたので交友関係は全くありません。
昼間働いてる会社では、付き合いで飲み会などもありましたが子供がいるからという理由で全て断っていました。
遊ぶということは全くなかったと思います。
休みの日は一日中子供と過ごしていました。

ですが、お金をかけた場所へはいけないので、図書館へいって絵本をよんだり公園に言って遊びにいったりとお金をかけないで色々子供と遊びました。
買い物は子供優先で食べ物や洋服をかいました。
子供は成長するので洋服もすぐに小さくなります。

買えるのは古着屋ばかりでしたが、それでも良いものを子供には買い与えました。
自分自身は新しい服は結婚した当初から殆どかった覚えがありません。
買ったとしても古着屋などでの安いものです。
それを自分なりに着まわしする感じです。

食事は私は基本1日一食でお昼だけでした。
自炊でお弁当を持っていきました。
パン屋さんからタダでもらえるパンの耳には本当に助けられました。
夜中バイトしてる時にどうしてもお腹がへるので、休憩時間ではよくパンの耳をかじっていました。
子供にだけはスーパーで安いものばかりですが、ちゃんとした食事を自炊で食べさせていました。

ひたすら我慢と節約と仕事の日々だったので、何処かへ遊びにいったという思いではありません。
睡眠時間が殆どなかったので、よく倒れなかったなと思います。

若かったから出来たのかと今では思います。

ただ、体は正直でその頃は生理が止まってしまってありませんでした。
ただ、その頃の私はそれすらも生理用品を買わなくて済むというありがたい気持ちでした。
それくらい追い込まれた生活でした。