私は清掃業を営む35歳男性です。
私は父の代から続いている清掃業男20代の頃に引き継ぎ、それから家族総出で仕事を回してきました。
清掃業といっても、ビルのお掃除から公園のトイレ掃除、また廃棄物の運搬等々、仕事は多岐に渡り、インフラ関係の便利屋的なポジションで今まで頑張ってきました。
しかし、去年の10月に創業者である父親が倒れ、あれよあれよのうちに亡くなってしまいました。

【体験者の情報】

体験者 借入件数 借金総額 借金期間
  • キミヒト
  • 男性
  • 35歳
  • 自営業(清掃業)
レイク 約90万円 25年12月10日-現在

仕事が激減し、生活苦に追い込まれた為

私は清掃業を営む35歳男性です。
私は父の代から続いている清掃業男20代の頃に引き継ぎ、それから家族総出で仕事を回してきました。
清掃業といっても、ビルのお掃除から公園のトイレ掃除、また廃棄物の運搬等々、仕事は多岐に渡り、インフラ関係の便利屋的なポジションで今まで頑張ってきました。
しかし、去年の10月に創業者である父親が倒れ、あれよあれよのうちに亡くなってしまいました。

父は人格者で、顧客のハートを掴んでいました。
私は自分で言うのもなんですが、仕事は出来る方です…が、父のような人の心を掴むような器がや度量がまだまだ足りません。
今までは与えられてきた仕事を淡々とこなしてきて、それでオッケーだったのですが、父が倒れてからは会社の舵取りは全部自分がやらなければなりません。
今まで営業的な活動は全くやってこなかったし、ましてや他人と接するのが苦手な正確な私の性格上、人の上に立つ社長代理という役職はかなり重たいものでした。

しかも、私が舵取りをしだした途端、専務として働いていた父の補佐が他の社員を引き連れて辞めてしまいました。
それだけではなく、同じ市内に清掃会社を立ち上げて、今までうちの会社で持っていた太い顧客を全てかっ去っらっていってしまったのです。
完全に裏切られた父と私の会社の収入は激減しました。
残った顧客もいたのですが、薄利で過酷な仕事ばかりです。
父親が倒れてから2ヶ月でほとんどの社員は辞めてしまいました。

私は人材派遣会社に人を頼み、何とか現場の補填をしていましたが、薄利の上に人権費ばかりが嵩み、一ヶ月で数百万の大赤字を出してしまいました。
そのお陰でもちろん私の生活もどん底まで落ちました。
そしてやむなく消費者金融のレイクへ行ってお金を借りることにしたのです。

会社の貯蓄もあったので、人件費はそこからまかない、私の給料分としてレイクから借りることにしました。
なので最初に借りたお金は15万円。
私にとって初めての借金の経験でした。
それに屈辱感というか、情けない…と言う気持ちが私の胸の中で渦巻いていました。

裏切った社員、辞めていった社員達に対しての怒りも相当ありました。
数ヶ月は心の整理がつきませんでした。
そして経営が落ち着くまでの約半年間、毎月10万円から15万円、借り入れを繰り返しました。

私はそれまで人や会社からお金を借りたことが全くなかったので、消費者金融といえばヤクザのような反社会的団体が経営している…と言うような悪いイメージしかありませんでした。
しかし、背に腹は変えられません。私には家族もいるので、家族を養っていく義務もあります。
しかしレイクで審査を受けるとき、受付の方はそんなに悪い感じの人ではありませんでした。
また、とても対応が丁寧でマトモな感じがしました。
この時、私の今までの借金や消費者金融会社のイメージが少し良い方に変わりました。

レイクの公式サイト

会社経営がさらに悪化、どん底まで落ちました。

借金をして生活費をまかないながら、自分なりに営業活動開始しました。
父は脳梗塞で入院。植物人間状態なので営業のコツなどは自分で本を買って調べたり、インターネットで調べたりして自己流で始めました。
まずは奪い取られた顧客を脱却しなければいけない…ということで今までの顧客のところに挨拶に行き、仕事をこちらの会社に返してもらうように促しました。
しかし、裏切られた専務が立ち上げた会社には金額では到底勝ち目がありません。
なかなか取り返す事は難しそうでした…

しかし、私の父が努力して掴み取った取引先です。
おいそれと諦めるわけには行きません。
私はそこから数ヶ月、毎日のように顧客回りの営業をしました。
その間売り上げは全くありません。

新しくアルバイトやパートを雇い、人材派遣を頼んでいたときよりは人件費が抑えられるようになりました。
しかし、売り上げの絶対数が足りません。
私の生活費は数万円。
後はレイクへ行って借りる…という負の連鎖の日々でした。
こんな被害いつまで続くのか。
考えるだけでノイローゼになりそうでした。

私は今まで乗っていた車、おきにいりのクラウンを売り、軽自動車に変えました。
さらに持っていた貴金属もすべて売り払いました。

売ったお金はすべて会社の経営に回しました。(もちろん、微々たるものですが)
我が家の夕飯は、すべてスーパーの見切り品にかわり、私たち夫婦は自分たちの衣類は勿論、子供用の服もおいそれと買えなくなってしまいました。

何しろ明日の生活が見えないような状況だったので…
私や残っている社員の努力の甲斐あって、会社の経営が回復した今はようやく自分たちの買い物も出来るようにはなりましたが、それでもまだ、安心は出来ません。
本当に底辺の暮らしをしていたのです…。

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