2015年 10月 の投稿一覧

多重債務で自転車操業…レイク・クレジットで借金地獄

私はチェーン展開する外食企業で働いています。3年半前に地方から東京の本社勤務へ異動となりました。それまでは外食のチェーン店である店舗に勤務しており、営業職扱いのため店舗の業績に応じて手当があり、またチェーン展開する企業なので給与水準は東京に合わせられていたため、物価や家賃の安い地方都市ではお金にも余裕があり、充実した生活をしていました。国内メーカーですが高級車と呼べる車を購入してローンを組んでいた矢先に転勤を命じられ、東京都内へ引越しをしました。

【体験者の情報】

体験者 借入件数 借金総額 借金期間
  • ヨッシー
  • 男性
  • 36歳
  • 会社員(全国チェーン外食業)
レイク・楽天カード・イオンカード 100万円 2011年8月-現在

転勤での収入減から借金生活へ

私はチェーン展開する外食企業で働いています。3年半前に地方から東京の本社勤務へ異動となりました。それまでは外食のチェーン店である店舗に勤務しており、営業職扱いのため店舗の業績に応じて手当があり、またチェーン展開する企業なので給与水準は東京に合わせられていたため、物価や家賃の安い地方都市ではお金にも余裕があり、充実した生活をしていました。国内メーカーですが高級車と呼べる車を購入してローンを組んでいた矢先に転勤を命じられ、東京都内へ引越しをしました。

それまでの営業職から事務職となったため、給与体系も変わり、また地方に比べて家賃も高いため一気に収入減になったのです。実質手取りはそれまでの60%くらいです。それまでの余裕があった暮らしからは一転、地方にいた時に組んだカーローンやクレジット返済が苦しくなり、生活に切羽詰ってきました。物価や光熱費も高く、様々な支払いに追われて給料が支給されても支払いのために一気に減り、支給日から1週間後には食費を含めて1万円くらいしか自由に使えるお金が残らなくなりました。

もちろんそのお金でやりくりするのは難しく、やがて車のローンや光熱費などの支払いが滞るようになり、催促電話がかかってきたり、電気・ガスが一時的に止まってしまうほどになります。さすがにこのままでは良くないと思いながらも給与が急に増えることも無いし、借金を減らす手段もなく、預金も無かったため、
持っていたクレジットカードでのキャッシングを利用するに至ったのです。

当時持っていた楽天カードのキャッシング枠が30万円分あったので、コンビニのATMから2万円融資してもらったのが初めてです。止まってしまった電気を復旧させるため、支払いが滞納していた分を支払うために1万5千円、残りの5千円は当面の生活費に当てました。

キャッシングでの金利も知っていましたし、この先も給与増がない限り生活を戻す見通しは全く無かったので、とにかく不安でしたが、とりあえず今をしのぐために借りました。
気分的にはもうどうしようもないのでまさに今のことしか考えられない状況でした。

車のローンやクレジット払いは日常的に利用していたので、お金を借りることに対して違和感はなかったですが、キャッシングで生活費をまかなうことには絶望感がありました。できることなら借りたく無かったのですが、藁にも掴む思いで本当にやむをえず借りざるをえませんでした。借金をした時もそのイメージは変わることがありませんでした。

膨らむ借金と絶望な毎日

給与は上がることなく、車のローンなど毎月の支払いは延々と続くので、それに合わせて借りる金額も膨らんでいきます。最初の2万円に始まり、毎月5万円ずつくらい上乗せで借りるようになりました。キャッシング返済分の5,000千円を払い、5万円を借りるという自転車操業の状態です。
キャッシング可能な限度額を迎えたので、レイクでカードを作りました。
光熱費は支払い遅れがありましたが、ローンは少々の遅れ程度だったので審査も無事通り、こちらでも借金を抱えていくことになります。初めてのキャッシングから1年後には借金は70万円を超え、他にも返しきれないカードのクレジット、車のローンと合せて400万ほどでした。借りても返せる見込みも薄いので毎日絶望的でした。融資の月5万円も自分なりに最小限にとどめていたつもりです。家にある本やCD、趣味だったゲームも諦めてゲーム機本体やソフトなど少しでもお金になりそうなものは次々に売って、生活費の足しにしていきました。

食費も限られているので、出勤している日の昼食は抜きとし、夕食もごはんと100円で買った缶詰一つという状況でした。もちろん衣料も買えず最低限の下着や靴下を買う程度。ちょっとの食品以外は一切買い物をしなくなりました。
精神的にもかなり追い込まれます。
生活はかなり切り詰めた状態でも膨らみすぎた借金の返済さえもままならない日々で、どうすればいいか自分ではわからない毎日。友人と食事に出かけることもできず、何のために生きているのかわからい状況がずっと続いています。

それから、しばらくしてテレビで毎日のように流れている過払い金のテレビCMをみました。インターネットで過払い金のことをしらべるうちに私にも当てはまるんじゃないかと思うようになったので、まずは法テラスに相談しました。電話相談をして最寄りの法律事務所をご紹介いただいたのですが、その時は躊躇してしまい踏ん切りがつきませんでした。そういうしているうちにレイクからの取り立ての電話がくるようになり、精神的に参ってしまいました。もうだめだと思った時にたまたま、電車の広告をみて大阪にある杉山法律事務所に思い切って相談をしました。

杉山法律事務所で、その後に借金を減らす手続きをして今は借金を0円にすることができました。あの時、自分が行動していなければ今はどうなっていたかわかりません。

車が好きすぎて借金600万…結果返済に追われる日々へ

仕事を始めたした当初は、両親の車で通勤していましたが、1年後自分の車を購入することになりました。
地方都市在住ですので1人1台は常識ですし、私の地域に住む社会人は、みんな車を所有しています。
そこで当時憧れていたマツダRX7を新車で購入する事にしました。総額は約400万円かかりました。
金融機関の審査は問題なく通りました。

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東京での初めての一人暮らし、羽目を外し借金

6年前大学卒業後、東京都内の中堅不動産会社の営業として就職しました。大学は実家のある愛知でしたが、就活で惹かれた会社が東京にあり、採用決定後初めて親元を離れて一人暮らしをスタートさせました。学生時代は比較的まじめに学校に通い、ハメをはずすこともない毎日でしたが、初めての一人暮らしに開放感を覚え、連日先輩や同僚に誘われるままに夜の付き合いにのめりこんでいきました。

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クレディセゾンで借金、息子からは「離婚前の方が良かった」

旦那と別れて一人で生活しなければいけなくなったことが切っ掛けです。元々私達は円満な家族生活を営めておりました。旦那は外資系の営業マン、中学生の息子と小学生の娘にも恵まれ、私は専業主婦として、旦那と子供たちを支える日々を送っていました。しかし旦那が脱サラし、自身でビジネスを営むようになってから歯車が狂い始めました。

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10年間の借金生活、1日の食事パンかカップ麺1つで脱出!

2000年の8月に、初めて消費者金融からキャッシングをしました。
借りた金額は10万円で、それが初めてキャッシングした時の借り入れ限度額でした。
消費者金融でキャッシングをした理由は、飲み代やギャンブルなどの遊興費に使うためでした。
まだ若かったこともあり遊びたい盛りで、目の前のことしか考えられないような短絡的な部分があったのだと思います。

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