クレディセゾンで借金、息子からは「離婚前の方が良かった」

旦那と別れて一人で生活しなければいけなくなったことが切っ掛けです。元々私達は円満な家族生活を営めておりました。旦那は外資系の営業マン、中学生の息子と小学生の娘にも恵まれ、私は専業主婦として、旦那と子供たちを支える日々を送っていました。しかし旦那が脱サラし、自身でビジネスを営むようになってから歯車が狂い始めました。

【体験者の情報】

体験者 借入件数 借金総額 借金期間
  • kimmy
  • 女性
  • 41歳
  • パート
クレディセゾン、VISA、アメックス 50万円 2009年1月-現在

旦那が事業失敗で借金塗れ、離婚して子供達と共に家を飛び出した

旦那と別れて一人で生活しなければいけなくなったことが切っ掛けです。元々私達は円満な家族生活を営めておりました。旦那は外資系の営業マン、中学生の息子と小学生の娘にも恵まれ、私は専業主婦として、旦那と子供たちを支える日々を送っていました。しかし旦那が脱サラし、自身でビジネスを営むようになってから歯車が狂い始めました。

旦那が起こしたプロジェクトは運が悪かったのかどれもうまく行かず、最終的には数年で貯金が底を尽いてしまいました。マンションや旦那の実家も借金の担保になり、ローン会社や金を貸してくれている旦那の知り合いから毎日のように家に電話が掛かってくるようになりました。旦那が携帯に掛かってくる督促の電話を一切取ろうとしないためです。

マンションが仕事場になっていたため、旦那が留守にしている時など借金の取り立てに取引先の社長が乗り込んでくることも何度かありました。もう精神的に限界だと思い、私は家を出る覚悟をしました。お互い両親は既に死別していたので相手の家と揉めるようなことはありませんでした。離縁状を突きつけると夫も覚悟はしていたのか素直にハンコを押してくれました。

しかし、家を出て一体私はどうすれば良いのでしょうか。新しくアパートを借りパートをフルタイムで始めましたが、借金まみれの夫に子供の養育費を出してもらうことなど全く期待出来ません。子供たちも進級する度に何かと色々なものがいる時期です。進退窮まった私はとうとうクレジットカードのキャッシング枠で、生活費のために20万円借りることにしました。

クレディセゾンから20万円の借り入れ

持っていたクレディセゾンのカードから20万円借りました。夫婦がまだ円満だった頃にデパートで気軽に作ったものですが、まさかこのカードが頼みの綱となるとは思いもしませんでした。借りたお金は私達の生活費に消えました。パートの給料が毎月入ってきますから月1万円の返済なら何とかなると思ったので、借りた時はそこまで深刻に考えていませんでしたし、何より生活費の足しが出来て嬉しいという思いで一杯でした。

借金についてのイメージは最悪に近いものでした。家族をバラバラに引き裂いて旦那の人格まで変えてしまった全ての根源が借金だからです。旦那と一緒に暮らしている時は、今後どんなことがあっても絶対に借金なんてするものかという思いに満ち溢れていました。

しかしいざ自分で生活を始めてみると、まさかここまで毎日金が必要になるのかと愕然としました。ですから絶対に借金はイヤだという思いと、借金しなければ暮らしていけないという思いに引き裂かれている状態でした。

利息の返済が家計を圧迫、バイトやパートを3つ掛け持ちすることに

パートではフルタイムで働いても月16万円ほどです。何とかして息子を高校までは出してやりたいと思っていたので、そのための資金集めで毎日爪に火を灯すような生活でした。私立に入れてやるお金の余裕は無かったので、何としてでも公立高校に進学して貰わねばなりません。ですので中学3年となった息子の成績が少しでも上がればと思い、学習塾に通わせることにしました。

大したレベルの塾ではありませんでしたが、それでも毎月3万円ほど持って行かれます。高校に進学したら息子もバイトが出来るようになり生活の支えになってくれるので、それまでの辛抱と思い、再度同じクレディセゾンですが別のクレジットカードのキャッシング枠で、息子の塾代x10ヶ月分の30万円を借りることにしました。これで月の返済額も3万円弱に増えました。

しかしある日、これでは旦那と同じ道を歩んでいるではないかと思い、一刻でも早く借金を返そうと決意しました。その結果、コンビニのバイトとパチンコ屋の早朝清掃のバイトも掛け持ちで行う羽目になりました。

息子や娘も状況を理解していたとは思いますが、それでもお金がない状況というのは人の心を冷たいものにせます。父親と一緒に暮らしていた時の方がよほどマシだったと何度も子供達から詰られました。食費も削らなければいけませんから、毎日ご飯とオカズは一品、具の少ないカレーやスパゲティが子供達の楽しみとなりました。

公共料金も可能な限り削らなければいけないので夜9時には消灯、テレビも無し、風呂も冬は3日に1回という酷い日々が続きました。もう二度とこの頃の生活に戻りたいとは思いません。

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