東京での初めての一人暮らし、羽目を外し借金

6年前大学卒業後、東京都内の中堅不動産会社の営業として就職しました。大学は実家のある愛知でしたが、就活で惹かれた会社が東京にあり、採用決定後初めて親元を離れて一人暮らしをスタートさせました。学生時代は比較的まじめに学校に通い、ハメをはずすこともない毎日でしたが、初めての一人暮らしに開放感を覚え、連日先輩や同僚に誘われるままに夜の付き合いにのめりこんでいきました。

【体験者の情報】

体験者 借入件数 借金総額 借金期間
  • 東の月
  • 男性
  • 28歳
  • 会社員
三井住友VISA、クレディセゾン、モビット、アイフル、アコム 240万円 2008年5月-2011年12月

新社会人生活ではまったコンパで散在

6年前大学卒業後、東京都内の中堅不動産会社の営業として就職しました。大学は実家のある愛知でしたが、就活で惹かれた会社が東京にあり、採用決定後初めて親元を離れて一人暮らしをスタートさせました。学生時代は比較的まじめに学校に通い、ハメをはずすこともない毎日でしたが、初めての一人暮らしに開放感を覚え、連日先輩や同僚に誘われるままに夜の付き合いにのめりこんでいきました。

そんなに高い店は利用していなくて、一人頭3000~4000円程度の店を利用していて、いつも支払いはクレジットカードでした。週に3回、多いときは5回ほど出かけ、独立一ヶ月目に早くも給料日前にカードの請求額が生活費に回せる額を上回ってしまい、慌ててリボ払いに変更しました。
とりあえずリボにすれば、毎月2万程度の支払いに固定にできるので安心してしまい、飲みに行く頻度は変わらないのに、毎月2万円で飲み代が収まっているような感覚に陥っていました。当時最初に作ったクレディセゾンのカードもあっという間に限度額に達してしまい、続けて三井住友VISAカードを作り、同じようにカードで飲み代の支払い・リボ払いを繰り返していました。

毎月の返済はダブルで4万になりましたが、金利が18%程かかっているため実は両方とも元金はまったく減っておらず、新たな借金を積み上げているだけの状態でした。2枚目のカードも早くも限度額に達した段階でっすがにマズイとは思いましたが、その頃には仕事の後の遊びや飲み会、コンパを止めるわけにいかず、そのまま消費者金融からのキャッシングにも手をだしてしまうことになりました。

クレディセゾン50万で三井住友VISA70万でモビット50万でアイフル40万でアコム30万借金をしました。
クレジットカードの支払いの方は借金の感覚はなく、分割で代金を支払っている安易な気持ちでした。その頃収支が全てどんぶり勘定で、自分がどれだけ使い、どれだけ返済してるのかも把握できていませんでした。毎月いきなり何十万という返済が生じていたわけではなかったので、ボーナスをもらった時に清算すればなんとかなるという気持ちでした。

とりあえず飲みに行くための費用がショートすると、モビットやアコムなど、webから手軽に申し込める消費者金融から現金を引き出すようになりました。年末に賞与がでたら一気に返すつもりだったので、給料の前借程度の感覚です。CMや電車の広告でタレントが宣伝しているので爽やかなイメージもあり、後ろめたさもありませんでした。しかし年末になり、借金の総額は200万を超え、とても社会人1年目の新人に清算できるような金額ではなくなっていました。また賞与が入ったことで気が大きくなり、本来少しでも返済にあてるべきところを次の飲み代やコンパ費用に回してしまうという失態まで犯しました。

結局どうにもならず親を頼る

リボや分割でまわしてきた返済も手に負えなくなり、次第に督促されるようになりました。年が明けてさすがにやっと少し危機感を覚え、飲みに行く頻度を減らしていきましたが、まだ完全にはやめられず、小額の清算もできないで同僚に立て替えてもらうこともありました。生活費のほとんどが支払いに消えていくため、食事もろくにとれず、いつも青い顔でフラフラしていました。その頃返済が合計で12万、手取り18万だった自分は家賃を支払うと他にまわせる資金もほとんど残りません。それでも、まだ誘われたら出かけていたのですから本当にバカでした。

借金の返済のために新たな借金をするという負のスパイラルに見事にはまってしまいました。金利も払えないことが多くなり、借金は返しても返しても減るどころか増えていきます。最初はクレジットカードで気軽に買い物をしていた感覚だったのが、気がつくと返済地獄に陥っていました。まさか社会人1年目で自分が借金を抱え、督促され、食事も禄にとれない無様な状態になってしまうとは思いもしませんでした。

食べるものも食べず、また督促に心労を抱えてストレスが限界にきてしまい、結局仕事中に倒れてしまいます。生活は仕事にはなんとか行っていたものの、まともに仕事のできる状態ではなく、ぼーっとして注意散漫、ろくな成績もあげれず散々でした。

倒れてしまった時に職場から連絡がきてびっくりして駆けつけた両親に、借金のことを打ち明け、結局親に一括で返済してもらうことになりました。初めて母親に泣かれやっと目が覚めました。幸い督促は会社などには来る事はなく、勤務先にバレルことはありませんでした。しかしあのまま返済地獄の中にいたら、確実に仕事も首になっていたと思います。

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